
大笹街道とは
江戸時代、善行寺から江戸を結ぶ最短街道のバイパスとして使われたのが大笹街道です。
起点は北国街道の福島宿で、鮎川沿いに進んで仁礼宿を通り、峰の原高原・菅平高原を抜けて、上州の大笹宿(現:群馬県嬬恋村)まで繋ぎました。
そのため、上州側からは「仁礼街道」「信州街道」の名で呼ばれていたそうです。
当時、江戸に向かうときは「北国街道」や「中山道」の主要街道が一般的でした。
しかし、大笹街道を利用すると距離が短く、宿場が少ないため経費削減になるメリットがあり、1650年に北国街道の脇街道として幕府に公認されてからは、物資輸送道路としても大変賑わいました。

大笹街道の魅力
・こじんまりとした街道ながら、須坂の歴史的な観光名所をたくさん見られます
・米子不動尊、大谷不動尊、高仁神社など、信仰の対象となった場所も人気です
・季節の変化が大きく、どのシーズンに来ても景色を楽しめます




大笹街道をもっと知る!
大笹街道の難所
北国街道に比べ距離が短く、日数も1日短縮された大笹街道ですが、最大の難所は峠越え。
仁礼宿から峰の原・菅平までの標高差は800メートルで、きつい坂道が続きました。
標高1,500メートルの峰の原では、冬期に吹雪に見舞われ命を落とす人馬も多かったようです。
そこで、吹雪でも道を見失わないよう、高さ1〜1.5メートルの盛り土をして土手道を作りました。
これが今でも峰の原高原にそのまま残っています。
大笹街道の荷運びの歴史
大笹街道は、別名を「油街道」「近代シルクロード」といいます。
江戸時代、北信濃特産の菜種油が街道を通って高崎方面へ運ばれていました。そのため、かつては油街道と呼ばれていたそうです。
その後、明治時代に入り、須坂藩が養蚕・製糸業を支援したことにより、生糸の生産が盛んになりました。品質のいい生糸は、海外でも人気が高まり、輸出品として重宝されました。
多くの生糸が運ばれ、油街道から近代シルクロードと呼び名を変え、発展していったそうです。
大笹街道を歩いてみませんか?
1893年(明治26年)、信越本線が開通したことにより、物資輸送の使命は終わりを告げました。現在、この街道の全工程を歩くことは難しく、昔の面影は失われつつあります。
しかし、江戸時代を中心に、北国街道の高原バイパスとして賑わった大笹街道には、数多くの石仏群や道標が残されています。四阿山信仰、米子不動尊、大谷不動尊への信仰者、修験者など、当時の旅人への思いを馳せ、古来からの人・物資・文化交流の舞台となった道を一部でも自分自身の足で歩くことで、今をより深く知る機会になるのではないでしょうか。

モデルコース

距離 2.2km
所要時間 40~50分
出発:馬頭観世音像
ゴール:kitchen&cafe ツユハレ

距離 2km
所要時間 30~40分
出発:蔵のまち観光交流センター
ゴール:須坂クラシック美術館

距離 7km
所要時間 100分
出発:災害復旧記念碑
ゴール:湯っ蔵んど

距離 約8km
所要時間 徒歩 90分~120分
出発:黒門
ゴール:こもれびホール

距離 2km
所要時間 40~60分
出発:サンセットテラス
ゴール:カフェバルチチピ
